社会におけるゲーム


人はなぜ、ゲームをするのだろう?
私が中学生の頃にゲームプログラマーを志してから、
考えていた問いだ。


当時、そして今も、ゲームをするということ=悪という考え方は
深く根付いていると思う。
子供のゲームの時間を制限する母親、
TVゲームをすることで目が悪くなること強調し、
そして、犯罪者がアニメやゲームの影響で犯罪にいたったと強調するマスコミ。
私自身も、小学生時代はゲーム時間を制限されており、
ゲームを遊びすぎたときにスーパーファミコンを親にトンカチで
ぶっ壊された経験がある。


自分の中でゲームをやるときは、今でも罪悪感がある。
無意識のうちにゲーム=悪という構造が出来上がっているのだ。
そんな社会に悪影響を与えるゲームを作る人に
自分はなってもいいのだろうか? そんな葛藤があった。


では、最初の問いに戻る。
なぜ人はゲームをするのだろうか?


それは、人に余暇ができたからなのではないかと思う。
昔と違い、学生時代は小学生から大学生までは働かなくても親が養ってくれる人が多い。
当然その分、彼らは余暇ができるのだが、そうすると余暇をなにかに費やさなければならない。
多くの場合、娯楽に費やされる。それが、ゲームをする土壌になっている。


人は何もしていないことに耐えられない。
だから、余暇を埋める手段としてゲームが存在するのだと思う。
ゲームはもともと手段であり、目的ではないのだ。
(続く)